シリーズ「10年以上スタメンから外れたことがないルアー」 その6:ゲーリーヤマモトヤマセンコー5インチ

2016-08-23   

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このワームについてのエピソードはオレのバス釣りヒストリーに中でも圧倒的No1です(*´ω`*)

高比重ノーシンカーをシャローカバーで使う

っていうのは今では当たり前で誰でもやってますが、恐らくセンコーでこの釣りを日本で最初にやったのはオレですwww いや、それは無いだろ!って炎上しかねない問題発言ですしもちろん異論も認めますw もちろん他にもやってた人はいると思います。が、オレがやり始めた頃そんな事を書いたり言ってる人は皆無でした。

年数の記憶が曖昧ですが、ことの発端は98年の(たぶん)の春に雑誌の取材で行った八郎潟。まだ4月半ばで葉っぱが生えそろってない時期。周りはテキサスリグオンリーだったけど、オレはあえてゲーリー4インチダブルテールフラグラブをカバーポケットに入れて釣ってました。でも、さすがに自重がなくてベイトタックルではストレス。そこでオフセットフックのシャンクにリードワイヤーをたくさん巻いてちょっと自重アップ。それでまーまー釣れたけど、やっぱり重さが足りずにストレスでした。

で、だぶん98年にゲーリーのセンコーが発売されたんです。発売当時は6インチのみでした。なお、今の5インチが何故か発売当時は6インチっていうサイズでした。

当時の雑誌広告は今でも鮮明に覚えてます。「4mレンジで閃光のように鋭いアクション使えるソフトジャークベイト」ってのがセンコーのウリでした。当時はバス釣り始めたばっかりだったので、その頃の流れはよくわかりませんが、たぶんスラッゴーとかフルークとかバスアサシンとかの低比重ソフトジャークベイトが先にあって、あのアクションを3~4mレンジで可能なのがゲーリーヤマモトのセンコー。っていう開発コンセプトだったはず。

んで、そのセンコー6インチを購入し、前出のダブルテールグラブみたいにシャローカバーで使ってみたら・・・・

激釣れ!!!

なにしろあの自重なのでピッチングも容易だしオフセットフックなのでカバーにも強い。当時、だーーれもやっていなかった高比重ノーシンカーを当時の八郎潟でやったらどんだけ釣れるのかは想像できることでしょう(*´ω`*) ファイト中によくとばされちゃたので、八郎潟の塩分濃度をあげちゃったかも?って心配になるくらい釣れました。

当時はまだインターネットの黎明期です。今みたいに誰もがブログ・SNSで情報を発信できるわけでなく、バス釣りの素人個人ホームページも少なかった時代。ただ会社でネットを見れる人は多かったので「オレの釣り」に載せてたセンコーノーシンカーの釣りは一部のマニアで瞬く間に話題になったんです(?)手前味噌で申し訳ないですがw で、いろんな人からメールもらいました。具体的にどうやって使っているのか?と。牛久沼のトーナメンターの人からもメールをもらい「今度大会がある。そのセンコーの釣りは誰もやってない。使い方を教えてほしい」って。結果、2位になったんだったかな? 他にもトーナメンターとかカバー撃ちやっている人からメールがたくさん来るのはいいけど、オレとしては「単に落とすだけ」なので説明もなにも無いんですよね(*´ω`*) 当時はSTCの進藤さんともよく釣りをしてたので、八郎潟では一気に普及し現在に至る、みたいな。ちなみにファットイカがでてくるのはもっと後の話です。なお、途中でセンコーからヤマセンコーに名前が変わったのは商標の問題らしいです。

それから少し経って最初6インチだったのが5インチという名称になって、4インチが今の5インチだったかな?それから年を追うたび徐々にサイズが増えていきました。オレ的には未だに現在の5インチが圧倒的に釣れると思っています。なお、当時、日本のメーカーから似たようなコンセプトのがいくつか発売され試しで使ってみたけど、本家の足元にも及ばない釣果でした。今の日本だと釣れる数が少ないので「そのルアーが本当に釣れるのか」って解りづらいです。マーケティング・・・あ、なんか業界批判になりそうなので、この話は置いといてw そんな感じで当時の八郎はめっちゃ数がいたので、本当に釣れるルアーとそうでないのが明確に解ったんです。

2001年には人生初の50アップを琵琶湖木の浜の陸っぱりで釣りました(*´ω`*) 当時の6インチのノーシンカーワッキーで。

アメリカでも爆発的ブームに

昔はアメリカのトーナメントに参戦経験がある某氏とたまに釣りをしてたんですが、オレがセンコーノーシンカーを使うと決まって必ず「またセンコーノーシンカーですか~セコイっすね~」ってよく馬鹿にされてたんです(*´ω`*) 釣れるからいいやんけ!セコイって言われても5インチあるんだけどな・・・。ま、お互いいつものネタみたいな感じでそんなことを言い合ってた。

そしてそれから数年経ってアメリカでも空前のヤマセンコーブームが起こったw いや、アメリカ人がどういう使い方してるのか知らないけど、とにかくコピー商品が死ぬほどでるくらいセンコー5インチの人気が沸騰したんですよね。なので、その後、某氏と会ったら「あなたの愛するアメリカであんだけブームになったじゃんか!オレをあんなに馬鹿にしたくせに~」ってネタで言ってますw

本場の人が認めるくらいやっぱりセンコーはよく釣れるんですよね!

オレが#031を使う理由

2000年にJBワールドシリーズが八郎潟で開催されプレスとしてある選手に乗りました。当時の八郎は凄い魚影だったので、朝の5投でリミットメイク!(笑)。その時選手がテキサスリグで使っていたのがジャンボグラブの#031でした。「このカラー釣れるんですよ~」って。ってことでオレが031を愛するのはそれが発端です。そして当時はTDバトラーハリヤー+ナイロン20lbs+二代目TD-Xの組み合わせでしたが、今のリールより性能はちょっと劣るのとオレが下手だったのもあって、いくら6インチでもノーシンカーで投げるのはけっこうギリギリの軽さだったんです。031以外にも当初はいろんな色を投げてたんですが、031が一番重かったんですよ。031がギリギリ快適にキャストできる重さでした。それでよく釣れるんでそっからはもう031以外使わない!ってくらいに。なお、カラーによる重さの違いについてはメーカーさんに「それは無いと思う」って否定されました(*´ω`*) カラー毎ではなく製造時期のムラは否定できないとも。とはいえ、現実、当時のオレは031だけが快適にピッチングできたんです。

釣れ過ぎるので一時は封印してた

てことで初心者のオレでもアホみたいに釣れたセンコーのノーシンカーなので、2000年代頭はそればっかり投げてましたわ。春も夏も秋もw 未だに八郎で一番釣ったのはセンコー5インチでしょう。で、初心者時期を少し過ぎてちょっとだけ天狗になる時期って誰でもあると思いますがw その頃には「釣れすぎてつまらん」なんてイッチョマエに思うときがあるんですよね~。なので、初心者の頃みたいにずっと投げることは減りました。近年ではテキサスリグを投げるほうが多いです。けど、やっぱり「ヤマセンコー5インチ#031」を積んでないと不安でしかたありませんw 心のお守りですね。 ちなみにテキサスリグで葉っぱ撃ちをしてて、フォール中に食うことがおおい・ボートの気配で魚が逃げる気配を感じるとき・リップラップ絡みで根掛かりが怖い時は今でもヤマセンコーNSは多用しています。なのでこの20年ボートに積まなかったことは一度もないです。それくらい信用してるし愛してます(*´ω`*) この先もこのワームだけは永遠に積むでしょう(-ω☆)

I love Yamamoto5,foever (-ω☆)


10年前シリーズおまけの一枚

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2006年くらいの写真フォルダを漁ると異様にあるのが箱根のおじさんの写真w あの頃は週に4日くらい連続して遊んでもらってたり。夕飯CUPが頻繁に開催されて山木さんが次から次へと仲間を呼んで対戦で負けてくれたので晩飯代が浮きまくりw 良い時代だったな~w

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カテゴリ:釣り

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