「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー ユニコーンと当時のスタッフ、関係者が明かす名盤誕生の裏側」を読んだ

2019-11-28   

久々に紙の本買って読みました(老眼鏡かけて)

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今から30年前の1989年にリリースされたUNICORNの3枚目のアルバムである『服部』に関してメンバーや制作関係者が当時を振り返る、的な内容の本です。

以下amazonより引用

リリース30周年! 名盤『服部』誕生の裏側に迫るドキュメンタリー

1989年6月1日に発売された、ユニコーンの3rdアルバム『服部』。「大迷惑」、「デーゲーム」などを収録し、奇抜なタイトルと見知らぬオジサンをジャケットに据えたこの作品は、当時気鋭のビートロック・バンドと目されていた彼らが、大きな変化と飛躍を遂げたマイルストーンである。彼らと長年にわたって親交の深い著者がユニコーンのメンバー、当時のマネージャー、スタッフ20人以上に取材を行ない、アルバムの制作背景を多角的に描き出している。 多くの音楽ファンを虜にした名盤はなぜ生まれたのか? 本書は、その裏側に迫るドキュメンタリーである。

【コンテンツ】
第1章 『服部』前夜のユニコーン
第2章 ABEDONの加入
第3章 『服部』のコンセプト
第4章 原田公一マネージャー、登場
第5章 メンバーが語る『服部』の制作
第6章 『服部』のアートワークと映像
第7章 『服部』のプロモーションとツアー
第8章 レコーディング・スタッフ座談会「マルチを聴きながら『服部』を思い出す」リリース30周年! 名盤『服部』誕生の裏側に迫るドキュメンタリー
 

オレ、BOOWYのバンドやったり松田聖子のことばっかり書いてたりしてますが、過去に最もハマったのはユニコーンです。バス釣り沼にドハマリして人生変わったのももともとは奥田民生の影響です。

どんくらい好きだったかというと、このアルバムの後に出た4枚目の 「ケダモノの嵐」というアルバムの全曲をMTRで全パートコピーしたくらいです。ドラム全部とキーボードパートのほとんどはシーケンサー(YAMAHA QX-5)の打ち込みだったけど、それ以外のベース・ギター・ボーカル・コーラスはもちろん、そのためにウクレレも買ったりSE音のCDも買ったりして極力完全コピーを目指しました。当時確かMTRっても4chしか無かったかなー?ってググったら発見!4chでした。

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https://aucview.aucfan.com/yahoo/r131256714/より引用

懐かし~。これこれ、これで4chしかないからピンポンしながら一人で作ってた。ボーカル撮りは風呂場で布団に包まってw

その話はともかく「服部」です。

ユニコーンは1987年にデビューしてます。どんぴしゃでオレが上京した年。上京っても横浜ですが。で、横浜といえばTVKでありTVKといえば今で言うほ邦ロック番組がめっちゃ多かった。今でも多いけど、当時はもっとすごかった。で、その時出会ったのが「メイビーブルー」のプロモーションビデオ。小学6年で聴いたY.M.Oのライディーン以来の音楽衝撃を受けました。メイビーブルーには。んで、一枚目のアルバム「BOOM」を購入。当時、BOOWYが超絶流行った直後だったので、BOOMの中では、それっぽい系統の「ピンクプリズナー」・「ヒステリーミステリー」っていう縦ノリの2曲がカッコよかった(オレも若かった)。

その後1988年7月21日(←オレの生誕20年目の日w)2枚目のアルバム「パニックアタック」がリリース。一枚目はちょっと「おしゃれ感」があったけど、2枚目でいきなしロック色が濃厚に。いわゆるバンドブーム全盛期だったのでテンポ速いビート系の曲が多くてもう完全にトリコになりました。1枚目の二枚目路線が影を潜め、ちょっとサンの線も入ってきてて、もともとクレイジーキャッツとか好きだったオレにはどんぴしゃ過ぎるアルバムに。s捨て曲は一曲もない感じ。今でもたぶん歌詞カード見ずに空で全部歌えます。

人気も急上昇し、コンサート行きたかったけど一度もチケットとれずな状態。

そして本題の3枚目のアルバム「服部」です。ハットリですよ?アルバム名が。ハットリ。しかも、アルバム・ジャケットはなぞのおじさんのドアップ。

不安とともにCDを鳴らしてみれば・・・・

一曲目、いきなりフルオーケストラのインスト曲・・・
二曲目、子供が歌ってる・・・わけわからん曲・・・

ここで度肝を抜かれるわけです我々ファン一同は。これは一体なんなんだと。

3曲めの「服部」でようやくディストーションギターから始まるロックの歌で一安心。

4曲目は神曲「おかしな2人」。ここでやっとヤングのハートが掴まれるわけです。1枚目の「ピンクプリズナー」的な速いテンポの曲に。

ってホッとしたのも束の間

5曲目の「ペーター」でちょっと気持ち悪い感じの暗い曲・・・

からの、6曲目は「いかにも」な感じの緩い「パパは金持ち」。曲の後半からサンバ祭りっぽくなって7曲目の「君達は天使」につながる。

5~7曲目で、当時の縦ノリバンドとはぜんぜん違う曲調になるわけです。初めて聴いたファン一同「ポカ~ン」な感じ。

8曲は静かなバラードの「逆光」。奥田民生の歌のうまさにうっとり。でもアレンジはちょっと妙。

9曲目はいきなしレゲエ調で、歌詞がおかしい「珍しく目覚めの良い木曜日」。

10曲目。シングルカットされたとき坂上二郎が歌ったっていう衝撃をあたえた「デーゲーム」。これは普通にいい曲です。

11曲目。TR808のリズムを使った「人生は上々だ」。シンプルな3コードロックだけどキーがどんどん上がって面白い。これは当時カラオケで超盛り上がった曲。

12曲目。「抱けるあの娘」。ブルース・アメリカ。これも奥田民生のうまさが光ります。

13曲目。おなじみの「大迷惑」。曲もそうだけどこれはプロモーションビデオが衝撃的でしたね。

14曲目。「ミルク」最後はアコギの弾き語りで締め。

っていう感じで、当時の速いテンポの縦ノリロックを求めてたファンからしたら「完全に裏切られた感」ありありだったわけです。

※とはいえ当時は98%くらいが女性ファンで、いまでいうアイドル的な扱いでした。なので、98%のファンがどう感じたかはわからないけど、レアな男ファンからしたらそんな印象でした。


今でこそ音楽制作はコンピューターで行うけど、1989年当時はまだまだそれが無くて、人間が演奏してた時代。なので、今聴いてもぜんぜん古臭い感をオレは感じないです。

※90年代のコンピュータバリバリの音を今聴くと逆に古臭く感じる。

今あらためて聴くとものすごいたくさんの音が入ってる。冒頭のフルオーケストラを含めみんな人間が演奏してるんで、時間とお金がめっちゃ掛かっているんですよね。それはバブル時代だったしCDが鬼のように売れてた時代だからこそできたわけですよね。その辺の裏事情的なことも、この本に書かれています。

なぜ「服部」なのか、なぜユニコーンはこっちの路線に移ったのか、誰のアイデアでこのようなバラエティに富んだ楽曲の集合体になったのか、周りに止めるオトナは居なかったのか、などなどこの本に全部書かれてます!ファンだったら絶対に面白くてたまらない一冊です。最終章の「レコーディング・スタッフ座談会」っていうのも最高に面白い。

松田聖子もそうだけど、当時のマルチトラックの状態でダウンロード販売してくれたらマニアならなんぼでもお金出すと思いますわw

「服部」は全曲spotifyで無料で聴けるようです。すごい。

服部 -UC30 若返る勤労 Remastered- Spotify

なお3枚めの「服部」のあとは「ケダモノの嵐」が出ました。これは「服部」ほどは凝ってないけど、こちらもバラエティに富んだ曲ばっかりで、当時のいわゆるバンドブーム時代の他のバンドとは一線を画してました。その頃になると、もうそういう路線にファンは慣れちゃって、なにをやられても驚かない感じにw。いつもファンの期待を裏切ってはるか斜め上を行ってました。それがまたたまらなく面白かった。

一般的にバンドものの「3枚めのアルバム」ってけっこう方向転換することが多々あって、そこで初期のファンが離れることもまーまーあるけど、ユニコーンに関しては完全に方向転換が成功した例でしたね。


オレのユニコーンコンサート参戦メモ

ネットにはなんでもありますね。ユニコーンの全ライブ情報も載ってました。なので自分の思い出メモとして記録しておきます。

(1)POP ROCKETS'89 1989/07/30 (日) @湯沢町中央公園野球場 (新潟県)

これは前にブログに書いたやつ。

30年前の夏フェス「人生は上々だ」 REDPEPPERS

(2)UNICORN WINTER TOUR "PANIC 服部 BOOM" 1989/11/17 (金) 渋谷クアトロ

前出のとおり、小さめの会場だった初期のツアーはぜんぜんチケットとれず行けず。唯一行けたのが「UNICORN WINTER TOUR "PANIC 服部 BOOM"」で会場は小さい渋谷クアトロ。で、この日は超絶スペシャルデイで、なんと男だけが入れた「BOYS ONLY DAY」でした。そしてライブ一曲めが高校の頃好きだったARBの「ロックンロールエアメール」だった衝撃は今でも忘れません!

(3)富士通電脳遊園地 1989/12/10 東京ドーム

これ、ユニコーンのコンサートではなく富士通がFM-TOWNっていうPCを発売したときのイベントにユニコーンがゲスト参加したもの。

パソコンのイベントに3日間で18万人!すごい!で、そのイベントにユニコーンがミニコンサートをやったの見に行ったのを朧げながら覚えてます。随分ステージが遠かった思い出しか無いw

(4)UNICORN 1990 "嵐のケダモノ"TOUR 1991/02/23 (土) 横浜アリーナ (神奈川県)

横浜アリーナ3日間だったのでチケットとれました。3日間のうちいつだったかは覚えてないけど。席は割と前の方で、花道に奥田民生が来た時、オレと目があってオレにピックを投げてくれた!はず!←ファンにありがちな妄想w でも、周知99%が女の客なので、あながち間違ってないと今でも思ってます。ピックはとれなかったけど笑

(5)舞監なき戦い 1991~1992 1992/02/24 (月)~1992/02/29 (土) 日本武道館 (東京都)

これ武道館5Days全部行きました。初期のコンサート行けなかった反動で。セトリが2パターンしかなかったのと、abeショーが長すぎて辟易した思い出w。この頃はもう奥田民生が歌うの半部くらいしかなかったのは言い過ぎかもだけど、だいぶ減ってた。楽曲がバラエティに富んでるのはいいんだけど、やっぱり奥田民生に歌ってほしいなぁって思ってました。ちなみにこの頃、知り合う前の嫁が裏方として働いてたらしい。

このツアーが1992年で1993年に解散。最後のツアーは行けず。そして2009年に再結成。

(6)蘇る勤労 2009年5月20日 日本武道館

再結成後の武道館に行けました。ずっと半泣きでしたw あれから10年・・・もうライブには行ってないけど、YouTubeにちょいちょいアップされるグレーなコンサート動画はたまに見てます。それによると、まさかライブでやるとは思えなかった「PTA光のネットワーク」とかやってるんですね。感動ものです。更に1991年ごろ死んでもやらなかったメイビーブルーとかシュガーボーイなんかも演っているようでめっちゃ見てみたいです。

昔のファン向けに「PANIC 服部 BOOMツアー2020」とかあったら死んでも観にいきたいけど、そういうことを絶対にやらないのがユニコーンなんですよね~(*´ω`*)

って、だいぶ話がそれたけど「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー ユニコーンと当時のスタッフ、関係者が明かす名盤誕生の裏側」は名作です!

 

カテゴリ:バンド・音楽

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