オレの旅2024 20年ぶりにゴールデンウィーク連休で実家帰って思いでめぐり&星撮影

そんなわけで今の職場になってからゴールデンウィークは無しだったので20年くらいノーゴールデン。そしてコロナ禍以降まじめにほぼほぼ火曜日しか休んでいないっす。前は頻繁に釣りにいってたけどそれがなくなってただただ出社してた。もう人生折り返し地点とっくに過ぎてるのにオレはこんなんで良いのか?とたまに思う。特にSNSでレジャーしまくりなみなさんを見てるとね。でも逆に一周して55歳になって「仕事がある喜び」みたいんなのも感じるようになった。あ「俺語り」しちゃった💦
GW明けに帰省~桧原湖の予定
ともかく、ここ数年まじで休みとってないので以下の計画を立てた
1.5月9日(木)に桧原湖で釣りをすることが決まった
2.5月9日あたりは新月期なので星の写真が撮れるチャンス。ずっと撮れてない「サソリ座」付近を狙える時期
3.GW中はどこ行っても混むし高い。なので、ゴールデンウィーク明けの6日か7日ごろから実家(山形県)へ行こう。
4.実家近くで星の写真とったり鳥の写真とったり自転車積んでいって子供の頃の思い出の場所を巡りたい
5.水曜日の夜に桧原湖へ移動。230km、下道で4時間くらい。途中、峠で星の写真撮れるぜ👍
6.木曜日は桧原湖で釣り。余裕あれば深夜に日光へ行って星の写真撮って夜明けとともに戦場ヶ原で鳥の写真撮ってから出社する
っていう贅沢プランを妄想してた。釣り以外は「晴れ」が大前提。思い出めぐりは曇天でもいいけど「星の写真」は快晴が絶対条件。薄雲すらNG。
で、連休に突入した3日金曜日に天気予報を見てみたら・・・・

金曜日の夜~日曜日まで晴れ。オレが行こうとしてる連休明けだけピンポイントで雨予報・・・えーーー
ってことで急遽、金曜日の夜に出発することに変更。もともと連休中は周囲の仕事関係者も休みだしFedExの集荷も休みだし日本国内の通販も減る傾向なので、どっちかというとGW中に休んだほうがいいっちゃいいんです。混むのがウザいだけで。
そんなわけで金曜日に剛速球で準備をし、仕事を終えてから家に一回いって自炊用食材をぜんぶやっつけてから出発。
今の季節、日没から24時くらいまでの夜空はめっちゃ淋しい。夜半過ぎに夏の星たち~夏の天の川が登ってくる。
新潟県と山形県の県境付近は街灯が少なく星の撮影にいいかんじ。

以前、八郎潟に通っていたときのコースなので空が暗いのはよく知っている。山の奥までいけばもっと暗いとこはあるけど、急峻な地形でも駄目。なるべく開けたフラットな地形が望ましい、ってなると選択肢は自ずと限られる。Googleストリートビューで下見しておいた場所へ行くことにした。
パトカーが渋滞をつくってた
GWど真ん中だけど関越道下りは空いててガラガラ。快適ドライブ。が、途中でパトカーが渋滞を作ってた。見通し抜群の新潟っぽい直線区間を赤灯点滅させ80キロ巡航するパトカー。めっちゃ迷惑😆

みんな100キロ+αで巡航するじゃないですか関越道は。なのにいきなり80キロ。クソ迷惑。オレの4台前くらいをノロノロ走ってる。次第にオレのクルマの後ろには長蛇の列😆 そしてたまに追い越し車線を猛スピードで抜いてくクルマがいる。たぶん遥か前方の赤灯を見て「NEXCOの巡回車だろ?」って思ってる。深夜の高速で見る赤灯の7割はNEXCOだから。たぶんスピード出してるやつは「サンデードライバーの素人が!NEXCOの赤灯をパトカーと思ってるぜ!」って勘違いして追い抜きしてると思われます😂 パトカーを目視できるとこまで近づくと猛烈急ブレーキかけて無理やり左車線に合流、ってシーンを数回見かけた。めっちゃ危険ですあれ。事故誘発行為だと思うんですよパトカーさん・・・本末転倒。
Go八郎時代によく立ち寄っていた越後川口サービスエリアへ。いまやサービスエリアですら深夜に食事できるところ激減しました。めっちゃ貴重なサービスエリアです。

ここでよくラーメン食ってた。特に美味しいとか、そういうわけでもなく、単に深夜に食べれるってだけで食べていた印象。久々に食べたけどやっぱり特段美味しいとかそーゆーのではなかった😂

そんなこんなで通い慣れた日本海自動車道経由で村上市で7号線に降りてそっから横道にそれて目的地へ
新潟県で星の写真にトライ。完璧に近い撮影ができた!
2つのブロックに分かれてて、手前のブロックに先行のクルマが3台くらい停まっててテントも張られてた。え?キャンプ場なの?
奥側のブロックは誰も居なかったのでそっちにクルマをとめた。
クルマを降りて空を見上げると・・・あれ?ちょっと薄曇りか・・・え?あ!違う雲じゃなくて天の川だ😆😆😆😆👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
やばいっす。地平線近くはちょっと明るいけど悲願のサソリ座ちかくの天の川が見える~~~~~~
いままでずっとカメラ1台で撮ってたけど今回から予備機も入れて2台体制で。


ってことで、星の撮影については別ポストで。
そんなこんなで1時半から3時半まで撮影を堪能し実家へ向かう。が、しかしあゝ無情。通行止め😆
志摩リンかよ~

uターンし来た道をだいぶ戻って7号線へ戻る。4時過ぎには明るくなって海沿いドライブが素晴らしい

けっこうルアーマンが磯で釣りをしてた
鳥海山も見えてきた

からのマジックアワー

んで5時頃に地元酒田市に到着。ちょっと早すぎた。たぶん家のひとまだ寝てる。なので、ちょっとクルマでプラプラしてみた。
昔のメインストリート。今はシャッターストリートですよね。全国どこもそう。

中心地の象徴「マリーン5 清水屋」。いわゆるデパートですね。このときはまだ営業してると思ってたが・・・


30分くらいウロウロし実家へ。

10時過ぎまで仮眠。
子どもの頃の思い出場所めぐり
この歳になるとふと子どもの頃に思いを馳せることありますよね?オレだけ? ずっと地元で暮らしている人はないのかもしれないけど、オレはたまに思い出す。今はGoogleストリートビューである程度見れるけど、やっぱり自分の目でみたいって気持ちもある。過去にクルマでまわったことは何回かあるけどやっぱり自転車・徒歩とは景色が違う。ってことで折りたたみ自転車買った当時からやってみたかったんですよ思い出地めぐり。今回の帰省のメイン目的はこれといっても過言でない。天気も快晴で申し分なし。

ってことで昼前にスタート。

隣家。50年前から謎の「森」チックだったけど、その森感は健在だ。人の気配がないのも当時と同じ。

家から最寄りの神社。その横の地域の集会所みたいなところ。神社の境内がこんなに狭かったとは。

第一中学校の裏の坂道。ここでよくスケボーをしてた超懐かし坂道。中学生がいっぱい歩いていたので撮影は遠慮し、ストリートビューから転載。

当時上からだとすごい急斜面に見えたけどいまみるとそうでもない。ちなみに当時はこんなに家がなかった。ただの林の中。故にクルマも一切来なかった。
小学1年~5年まで通った松陵小学校。これ自体はそんな変わってないけど、向かい側の景色は激変。

中央高校がなくなってて「酒田光陵高等学校」になってる。

小学校から光が丘・高砂方面の友達んちに行くとき通ってたすんごい急坂。これも今見るとそんなでもないのね~。下ってみたかったけど残念ながら自転車NGでした。

子供の頃、パンといえばここのパンだった。未だ健在でびっくりした。建物も変わらず。当時はけっこう洋風でおしゃれだと思ってた。

その先の「ト一屋」。トイチ屋って超高利貸しみたいな名前だけど地元の歴史あるスーパー。

実家の最寄りスーパーは二軒ともとっくに潰れたけどここはまだ残ってた。驚き。この先に不登校になった同級生が住んでいてよく家に迎えに行った思い出。
駅の方へ
盲腸で入院して退院した日にこの公園で野球した思い出。

鳥海山と羽越本線が見える陸橋。ここで鉄道写真をよく撮ってた。

当時は車両基地みたいなのあったけどなんか今は草ボーボーです。右側は港へ続く臨港線。

鳥海山

陸橋階段の1段目の踊り場がいい感じのカーブで列車を撮れるポイントだった。今は家がいっぱい建っててごちゃごちゃしてますね。中央の樹木も当時はなかった気がする。

この先に友達2名住んでいたのでよく渡った踏切。

そしてその道沿いのドブ川。当時はヘドロボトムの汚い川で生き物感は皆無。いまもそんな感じだったけど鯉がめっちゃ差してた。

写真撮れなかったけどボラの群れも入ってた。昔より水質よく鳴ったのかな?

埼玉・群馬あたりで川を覗いてるオレからするとボラがいるのはまーまー衝撃だった😆 河口から5キロくらいあるけど、さすがボラックですね。
ずっと付き合いがあった友人にあいたいんだけど連絡手段がない。きっと現代人ならLINEとかでつながっているだろうし、今の30~40代は携帯でつながっている筈。でも50代って中高生のころ携帯が無い世代なんですよね。SNSでつながってればなんとかなるけどそうじゃないと疎遠ってか無縁にちゃっちゃう。高校のころの友人も2~3名は携帯で繋がってたけど10年くらい前に「携帯の電話番号」を完全に捨てたので手段皆無😆 唯一の連絡手段は「直接家に行くこと」。ってことで同性の友人宅に行って玄関でベルを鳴らすも人の気配なしだった。GWでお出かけですかね。残念!
バス停が軒並みこれ。酒田市のゆるキャラらしい。か、かわいい・・・

子供の頃は海釣りばっかりしてて淡水はほぼしてない。でも春になると「イドヨ」と現地で呼ばれてた標準和名でいう「イトヨ」「トミヨ」「ハリヨ」的な魚は狙っていた思い出あり。

小学校6年のときに開校し、転入した小学校。オレが第一期卒業生。

タイムカプセル埋めたんだけど発掘の連絡が未だにないことを根に持ってる😆 開校1年目は頻繁に偉い人がきて子供向けに難しい挨拶をしてたわ。苦痛だったわ~。校歌もプールも未完成だった。そんで、この小学校の周辺はぜんぶ田んぼで小学校低学年の釣りをする前はよく田んぼ・水路で「ザコシメ」をしてた。標準語でなんだ?雑魚取り?
その「ザコシメ」エリアは完全に埋めたて地になってて全国にあるチェーン店ストリートになってる。完全に知らない街。

アウエイ感しかないので7号線に行ってみる。この道は八郎潟の行き帰りに頻繁に通ってた。実家をスルーして。なんせブラックバス企業で休みすくないんスよね~

ダイワ?

近年ダイワロゴみたいな矢印をあちこちでみるけど、これは>の角度もかなりイイセンいってる!なにが?
3年間通った第五中学校。今は廃校。校舎のほうまで行ったら通報されるんですかね?もうちょっと寄ってみたかった。

門の横にある電話ボックス。これが異様に懐かしい。なんでだろ?ってずっと考えてた。たぶん、中学校卒業後も、この前を通るときにこの電話ボックスだけは目立つ位置にあるからだと思った。ちょうど緩いカーブの先にこれがあるから。ストリートビューで見たらやっぱりそうだ。

中学校横の墓。そして登り坂。ここを超えると海。

海へ向かう交差点。あー懐かし。

ここらは防風林ストレッチ。鳥の声に耳を傾けてるけど、スズメ、カワラヒワ、シジュウカラなどなど一般的な平地の鳥が多かった。東北だから云々は無し。
あー懐かし。釣り場へ行く道。

よく釣りをしてた「小湊埠頭」岸壁はいまは立入禁止。

ひたすら金網。残念。

この海沿いの道はオレが地元を離れた直後くらいにできた道なのであんまり思い出はない。埋め立て前はちょいちょい釣りに来てた。サイトフィッシングを覚えた砂浜シャローのストレッチ😆

もうひとつの思い出の釣り場へ来たけどこっちもほぼ立ち入り不可能だった。

唯一釣り可能なストレッチは釣りのクルマがズラリ。ファミリー層ばっかり。って今時期はまだなんも釣れないはず。ファミリーフィッシングでは。

気象変動でなんか釣れるようになったのか?クルマのナンバーみると地元ナンバーは皆無で納得。GWなのでとりあえず海釣りしにきた、みたいな感じのようです。

ぜんぜん思い出の地でないけど港の奥にけっこう大きな規模のマリーナがある。プレジャーボートが並んでる。

Googleマップでみてもなかなかの規模。

言い方悪いけど人口10万の「こんな田舎」で何千万のプレジャーボートを所有する人がそんなたくさんいるんかな?法人所有だとしてもそんな企業が酒田市にこんなにあるとは思えない。普段は人の気配ないけどさすがGWでクルマがいっぱいとまってた。なるほど県外ナンバーやら内陸ナンバーやらが多かった。山形県全体のお金持ちや宮城県のお金持ちなんかが使っているのかもしれない。
小学~中、高校と一番親しかった友人の家の前に行ってみる。天体の趣味も松田聖子もバンド活動も一緒だった。
今は誰も住んでないのはしってる。回りの景色は変わったけど、その家自体はなにも変わってなかった。

ちょいちょいここで卓球をした記憶あり。

港へ続く臨港線。そうか、架線がない。ディーゼル区間だった。って、今でも使われてるのかな?

酒田文化センター。バンドやっててポプコンだったかイーストウエストだったかの予選大会とかに出てた。コピーバンドなのに😆他にも爆風スランプのコピバンで30分くらいやった記憶あり。

「えらいこっちゃ」っていう曲にBassのチョッパーソロがある。高校の頃100万回くらい練習したけど弾けなかった。でも、この文化センターでの本番のとき、過去イチ弾けたんですよ。まじで不思議な体験で今でも鮮明に覚えてる。速いフレーズだけどスローモーションに思えてうまく弾けた(気がした)。その超不思議な体験は自分の心の中に仕舞ってたけど、後年に「ゾーンに入る」って言葉を何度かきいて、あーあのときのあれはゾーンに入ったんだ、って思ってる。ちなみにその「ゾーンに入る」感覚、55年生きててその時だけです🤣
文化センター近くの「畠山楽器」。まだ営業してるっぽい。ここで練習したり譜面買ったり、コンテストの申し込みしたり、の淡い記憶。

飛島丸発着所。観光センター的なのも新設されてて観光客でいっぱいだったけどここは正直思い出なし。その横の「海洋センター」は懐かしかった。

酒田港のあたりもほとんど思い出なし。

でも、一箇所だけ思い出の釣り場がある。川の河口の小さい突堤。なんどかハゼ釣り来たりボラの稚魚を木で叩いて殺して浮かせて家に持って帰るなどなど子供ならではの謎の残虐行為をした思い出の場所。地元を離れたあと、なんどかクルマでこのへんにきたとき、あの「突堤」どこだっけ?って心のなかで思ってたけど一度もたどり着けてない。
けど今回、Googleマップの衛星写真を頼りに自転車でまわってやっと発見!ここ!真ん中の狭い突堤でハゼ釣ってた。同行した友人が橋の下で亀を捕獲し、オレに向かってこの狭い突堤を走って横の川に落水したのを今でも覚えてる。

今思うとここは酒田港のほんとのどん突きだった。

おそらく小学校のときだから40年以上前の思い出😆
日本海は潮位差すくないこともあって、住んでいた頃潮位なんてまったく意識してなかったけど今ならわかる。めっちゃロータイド🤣
ここは「山居倉庫」という有名な観光スポット。なんだけど思い出は皆無。一度も行ったことすらない。

その山居倉庫の斜め対岸にあったオレが通った高校・・・
あれ?
更地に・・・
100年の歴史があったそうだけど少子化には勝てずなんですね。

しっかしゆるキャラかわいいな。どストレートの可愛い系。

市役所も立派にリニューアルされてた!

中心部の繁華街へ。飲み屋街とかもちろん思い出は無。中心部の思い出は前にも出した清水屋。佇まいは当時と同じだから営業してると思ったけど廃業済みだった。

清水屋横のアーケード街は完全終了・・・な感じ。

地面のゆるキャラが虚しい。

たぶんオレが人生初で行った釣具店がこの辺にあった。今は無かった。

店員に何釣りたい?って聞かれて「鮎」って答えて店員が困っていたことを今でもはっきり覚えてる🤣🤣 そりゃ困るわ!
このあたりに地元で唯一のコンピュータソフト開発の会社があった。オレ、23歳くらいのとき一回Uターンしようと思ってそこに履歴書送ったことがある。顔写真貼らずに落とされた🤣🤣 あの時、もし転職してたら今とは180°違う人生だったんだろう。
通っていた幼稚園へ。お寺に併設されてた。お寺は残ってるけど幼稚園は無かった。

幼稚園の門から飛び出して軽くクルマに轢かれた。というか足の甲をタイヤに踏まれた。

大事には至らなかったけどオレの最初で最後(今のところ)の交通事故。
幼稚園の記憶はあんまりないけど、帰りの送迎バスから見たこの景色はよく覚えてる。

その先にあるほんの少しの交差点手前の登り坂。

高校卒業後、ちょっとだけ地元でクルマを運転したけど、ここが唯一のリアル現場型「坂道発進」ポイントだった。もちろん当時はMTだから冷や汗だったぜ!
ってことで思い出めぐりツアー終了。

なんやかんやで小学校~中学校当時の行動範囲だから狭いです。自転車でたらたらと30キロ弱。3時間くらいの旅。

でもいい思い出になった思い出めぐりツアーでした👍故郷を離れたみなさんもぜひ!
鳥海山のブルーランへ星撮影の下見へ
星も撮れたし思い出めぐりもできたしもうやることがない。なんならもう帰っちゃう?って思ったけどさすがにそうはいかず。母親といっしょに父親の墓参りに行ったり買い物いったりして16時になる。
強いていうともう一つだけやり残したことがある。鳥海山へ行くこと。
鳥海山へ登って深夜~明け方まで星を撮って、早朝に鳥の写真を撮りたい、って構想もあった。Googleマップでは下見してたけどやっぱり現場を明るいうちにみておきたい。ってことで夕方鳥海山へ下見に行ってみた。
子供の頃からある釣具店。スーパーカーブームのころここにポルシェ911がとまってた。

ブルーラインへ

が、しかし・・・・
途中「17時で閉めるよ」みたいな看板が・・・
え?駄目なん?
夜間通行止めでした💦

上のほうはまだ雪が多いので路面凍結リスクで夜間は駄目らしい。残念! 完全にやることなくなった😆 もう帰りたい。
オレにあうなり開口一番「太った」と言い放った義理姉が晩ごはんを買ってきてくれた。スーパーのお寿司ではないか!これはオレが週に2回くらい食べてる埼玉のスーパーベルクの寿司をパッケージも中身もほぼ同じで笑った!ってまぁ日本全国のスーパーの寿司はこんな感じでしょうけど。

そして郷土料理の孟宗汁をいただく。これがめちゃうまい。

この日の夜まで晴れ予報。翌日の夜から曇りに変わる。ってことで、今日の夜も星空撮影のチャンスあり。ってことで21時頃まで仮眠して再び新潟県のほうへ向かう。鳥海山で撮りたかったけど通行止めではやむを得ず。
新潟の笹川流れで星景写真
新潟県に笹川流れという超美しい海岸ストレッチがある。

西側は海で暗いし東側は山で民家なしなので星景写真にうってつけだと思う。
懸念材料は今の時期、ひらけている海方向の西側の空が淋しいこと。深夜から登ってくる夏の華やかな部分は東~南方向なのだ。
それでも海に突き出した岬状の地形の先端なら南側のサソリ座あたりを狙えるかもしれない?!
って思ったけど駄目でしたわ~。やっぱりバエる星たちは山の陰方向でした。
たまにクルマが通ると豪快なゴースト・フレアに見舞われる。

肉眼ではうっすらな漁火も現代の高感度カメラでは超明るく写っちゃう。

山側を撮ってみる。写真左のうっすら雲みたいなのが天の川。駄目だこりゃ!海を構図に入れられない。

まじで暗闇の恐怖!事件発生!
星空写真始めてから「まじで真っ暗でなんも見えない」状況に3回遭遇した。一回目は新潟県妙高エリアのキャンプ場、2回目は山口県の秋吉台、そして3回目がこの笹川流れ。
ここで事件発生!
笹川流れをクルマで走ってて左側に駐車場スペースがあったのでクルマを止めて撮影の準備をした。
海側に歩道があるのはクルマの中から見えてたので、その歩道から海側を撮る作戦。

で、三脚を担いて道路を渡った。写真では明るく見えるけど、目が暗闇になれてないのと加齢によってまじで足元が見えないっす。訳あって懐中電灯もつけてない。その状態で、薄っすらと縁石は見えたけど、歩道側がどんな状態か全く見えない。なので、縁石の外側から三脚の足の先端をチョイチョイと突っついた。そしたら地面は存在した🤣 いや歩道なくて海だったら死にますからね。
縁石に腰掛けて、歩道側に片足を入れたんです。そしたら歩道につくはずの足がつかない!やばい!オレ死んだ!って一瞬思った。が、想像よりちょっと深いところに着地した。そして踏み心地が妙にソフト🤣🤣🤣
あーーーー焦った~。水辺ビビリなんですよオレ。海とか湖がまじで怖い。
そうです縁石と歩道の間に溝があった。排水路みたいなやつ。そんな深くないけども。

暗闇で、あると思った高さに地面がないのはまじで怖いっす。
今回のツアーで一番の思い出はこの事件でしたわ🤣
結局、笹川流れ星景写真作戦は失敗です。時期が悪い。西の空に夏の星座たちが沈む晩秋とか冬の星座が沈む早春にはいいかもしれないけど今は駄目。
結局2夜連続で同じ場所で星空撮影
ってことで結局昨晩と同じスポットへ。
前日よりもちょっと空気が霞んでいる感じ。PM2.5かなんか。そして貸し切りでなく先行者と後攻者?がありでかなり気を遣ったけど、いい感じに夏の天の川が撮れた。後半は余裕ができたのでクルマの写真ばっかり撮った。
そんな中、先行者の帰りがけにヘッドライトで照らされなんだかかっこいい逆光浴びた奇跡の一枚になったのがこちら🤣

星の写真というか星とクルマの写真が一番楽しいわ😆


星の写真詳細は「スターな男」で。
帰りがけの国道7号線の海沿いの道。ときは3時40分。人間の目にはまだ夜。一応、岬状の駐車場で南側を狙ってみた。人間の目には夜でもカメラの目では明け方でだいぶ明るい。そして天の川は画面左端のあたり。やっぱり角度的に難しいっすね~

同じ岬から北西側。北斗七星が写ってる。

駐車スペースと撮影ポイントを念入りに調べればなんとかいい感じに撮れそうだけど、そう甘くないっすね。笹川流れと違って7号線は街灯も多いのがネックだわ。そしてなにげに海が明るい。漁火が想像より強い。
古いアルバムと本棚をあさって自分の原点を発掘
朝方実家に戻って11時ごろまで寝た。
もう帰りたいんだけど、母親が「兄に会っていけ」という。兄は実家ぐらしなんだけど、どっかに釣りに行ってるらしい。昨日から見てない。今日の夕方に戻ってくるらしいのでそれまで待て、と言われてる。
暇で暇で死にそうなんだけど、やむを得ずだ。
ちなみに兄はオレのことを妙に知ってると思ったらXのフォロワーだそうだ。恥ずかし🤣
だからこのブログもきっと読むのだろう。身内に読まれるのは恥ずかしい。
ってことで夕方まで暇なので本棚を漁ってみた。小学校のころ読んでいた本。めっちゃオタクですね🤣

いまの本職はコンピューター関係。カメラマンというとプロに失礼だから言わないけどいちおう写真撮ってお金もらう仕事もしてる。そういう意味で子供のころから漫画とか読まずコンピューターと写真の勉強しててそれが今に繋がっているんだなって実感した。おっさんの自分語り👍
ちなみにこれらの本の半数以上は今読んでもさっぱりわからんほど難しかったので、少年時代もたぶん読んでないわ🤣🤣
藤井旭の天体写真教室
そんな中、唯一めっちゃ記憶にあったのがこの本。「藤井旭の天体写真教室」

左の「流星観測ガイドブック」は見たことないような複雑な計算式だらけで1mmも理解不能🤣
シャッターはレリーズで、厚紙で作ったシャッター板でメカニカルシャターブレを防ぐとか。超懐かしい~

この絵面も鮮明に覚えてるわ。
この時代のカメラでは人間には見えない「7等星や8頭等星」まで写せると書かれてる。

現代のカメラだったらどうなだろ?って思って軽くググったら16等星とか書かれてるブログがあった。時代の進歩ですね。
時代は変わっても星座はそうそう変わらない。1970年代の本に載っていたサソリ座近くの天の川。

これに憧れたわけですよ。これは当時は赤道儀望遠鏡に乗せて追尾しないと撮影できなかった。子供にはちょっと難しかった。でも、今の高感度カメラならシャッター押すだけで同じように撮れるわけです。

感慨深い~
夏の大三角も今なら誰でももっとキレイに撮れる


んでこの本に書かれてる現像~プリントにあこがれて、現像~プリントの機械を買ってもらって自分でやってた

現像液特有の匂いはまだ覚えてます🤣
1976年の本だった

星関連ではもう一冊。バイブル的な「全天恒星図」

当時流行ってた「ポスカ」で謎の修飾がされてた🤣

全く覚えてないけど中にはメモ書きがいっぱいあった。

アルバムを見て笑った
本棚にあったアルバム。この頃急激に普及した極薄タイプのアルバムですね。

一冊目は少5~6くらいにマイブームだった鉄道写真。
そう!この写真の構図!

この写真がブログ冒頭で書いたこの場所から撮ったやつ。

オレの実家がある羽越本線には「いなほ」「はくちょう」の特急と「日本海」のブルートレインしか走ってなかった。


そんな中、鉄道友達だった木下くんが新潟に引っ越しをした。それを期に新潟まで遊びにいった。小学5年生で隣の県まで一人旅って当時はなかなかレアだったと思う。もちろん特急いなほ号で向かった。
で、今なら確実に炎上案件だけど新潟の車両区みたいなところに2人で侵入して写真を撮りまくった。もう時効だから許して!現代でも撮り鉄は炎上起こしがちだけど昔からそうだったのか💦
今思えば、当時は寛容なところもあったから、きっと新潟車両区のひとたちも俺等のことを見てたけど、見て見ぬふりしてくれてたと思う。

新潟の駅でも撮影してたけど、運転士さんとかすごい親切で中見せてくれたり、すごくいい思い出しかない。未だにはっきりいろいろ覚えてる。

紙面でしか見たこと無かった電車をいっぱい見れて写真撮れて本当に最高の思い出だったのをこのアルバムみてもう一回噛み締めたわ。

当時のオトナに感謝だ。今なら大炎上必死。
当時のカメラCANON FTb発掘した
そういえば、その頃使ってたカメラ、当然自分のでなく父親のを勝手に使ってたやつ。当時と同じ戸棚に入っていた。

キヤノンFTb。
https://global.canon/ja/c-museum/product/film79.html
ズームレンズが28~50mmのF3.5、もう一個がFD50mm F1.8だった。
鉄道写真は望遠ズームで撮ってた記憶があるんだけど、望遠ズームレンズは見つけられず。もしかしたら、この28-50で撮ってたのかもしれない。
でも、あの陸橋から50mmでこの画角はないと思うなぁ。真相はいかに?

鳥の写真も撮ってた🤣
最近やってるいろんな趣味、バンドとか星とかは昔やってたことの復活です。でも鳥は違う。完全に新規の趣味。と思ったけどもう一冊のアルバムは鳥の写真だった🤣
そう、当時白鳥がいちじマイブームだったときがあったわ。


めっちゃ失敗してる白鳥の流し撮り写真もあった🤣

40年前とやってること同じ🤣
同じといえば驚いたのがこの写真。ピント合ってないけど。

そう。この感じの写真今でも無意識に撮ってるわオレ🤣🤣

3冊目のアルバムは80年代namcoゲームの画面。いまでこそスクショ撮れるけど昔のオレはゲーセンの画面をカメラで撮ってた🤣
ゼビウス

ディグダグ、ギャラガ、スペースインベーダー

なにを思って撮ったのか覚えてないけど💦
ちなみにコンピューターを勉強したきっかけはゲームが好きすぎて自分で作りたかった、っていう動機です。
そんなわけでオレの少年時代のいろんな思い出が蘇ったひとときでした。
仕事ばっかりで一緒に遊ぶことはなかった父親だけど、カメラ貸してくれたりPCー8801を買ってくれたことが今のオレのすべての始まりなのでそれはとても感謝してる🙏
そんなこんなで夕方に兄が釣りから帰ってきて釣りの話をした。
晩飯食べて帰路へ
埼玉まで下道で帰るチャレンジ・・?
実家から自宅まで400キロ台だった。月イチでもっと遠い秋田県まで通っていたので400キロは屁の河童。ゴールデンウィークの高速道路なんてストレスで死ぬのが目に見えてるので下道で帰ることにした。
ちょうど七号線の海沿いを走ってる頃に日の入り時刻。
せっかくなので写真とってみようと駐車スペースに停まる。

あ、水平線は雲じゃんか🤣

駄目じゃん。
新潟市内まで下道。新潟市内は政令都市で都会です。一般道バイパスが高速道路なみに整備されてる。そして軽自動車が100キロくらいでアミダ爆走しまくってることに恐怖を覚える💦
このまま下道で行けば3時頃家につく。高速で帰れば0時頃。ちょっと悩んで結局下道チャレンジはやめて高速へ。渋滞することなくスイスイ。
6時間18分で自宅着。

そんな2日間の20年ぶりのゴールデンウィーク(の2連休)でした!今回ばっかりは「こんなの誰が読むんだ?」って思いつつの超長文🤣
失礼ました👍
カテゴリ:オレの旅